『現代催眠原論』読書メモ(2)

この記事の続き.
 
これは高石昇・大谷彰『現代催眠原論』,金剛出版,2012, pp. 27-37 の読書メモである.
 
第一部
§3 歴史的変遷
催眠が予言や治療および真実の告白などに用いられてきた記録は太古より世界中で散見されるが,独立した心理療法として用いられるようになったのはメスメルに始まると考えられる.本章では臨床催眠が今日に至る歴史的過程を大きく古典的催眠と現代催眠区分して描く.
 
§3.1 古典的催眠
古典的催眠は1775年(メスメルの動物時期の提唱)から1894年(フロイトの催眠放棄)までの期間であると考える.
 
§3.1.1 メスメルと動物磁気
1766年:メスメルは重力その他の宇宙環境が人体機能に影響を及ぼすと結論付けた「天体の影響」と題する論文を提出し学位を取得.
18世紀中期は重力,化学反応,電気,磁気など自然科学上の発見が相次ぐ時代だった.メスメルは僧侶ヘルから金属の磁気が催眠感受性を高めるということを教えられ,様々な病状の除去に著しい効果のあることを体験した.しかし間もなく神父ガスナーが手の接触(パス)によって治療を行っているのを目撃し,磁気と同じ効果が得られることを体験した.メスメルはおそらく金属だけでなく体の組織にも治癒力が存在すると考え,これを動物磁気と名付け,診療所を設立し治療を始めた.
1778年:メスメルの同僚たちからよせられていた批判にもとづく論争を解決すべく,ルイ一六世はフランス科学アカデミー選出の研究者による調査団を派遣した.調査団は直ちに動物磁気は存在せず,患者の治癒は空想の産物であると結論づけた.同僚から見放されたメスメルはパリを離れあちこち放浪した挙げ句,生地であるスイスで独り死んだ.
メスメルのパス法は射るような凝視,奇異な身振り,身体全体を何度も執拗に触る,ということを特徴としており,これらの特徴は当時の術者にも共通して見られるようになった.これが今日の催眠に漂う暗いオーラの一因となったのではないか.
 
§3.1.2 ヒプノティズムの誕生
1827年:医師エリオットソンがあるフランス人催眠術師の実演を見てこれを日常臨床に取り入れ動物磁気説を証明すべく実験を行い,催眠のための機関紙まで発行した.医学界の怒りと嘲笑を招き,医学雑誌の投稿を拒否され,地位や資格も剥奪され,名誉回復の努力虚しく1868年に死去した.
 
1845年:インドのカルカッタで外科医エスディルが催眠麻酔によって7年間で2000例の手術を行った.そのうち300例は四肢切断,睾丸腫瘍の摘出,白内障などの大手術で,手術死の発生率も極めて少ないことが報告された.しかしスコットランドに彼が帰国した1852年からはインドでの体験を再現させることはできず激しい批判にあったと言われる.
 
1841年:眼科医ブレイドはフランス人催眠術師の実演を見て,一年後には論文を投稿するが,英国学術会議医学部門から拒否される.ブレイドはメスメルの動物磁気説を受け容れられず,これを心理学現象で暗示によるものだと主張した.神経学の素養もあったブレイドはこれをはじめは神経催眠(neuro-hypnotism),後にはヒプノティズム(hypnotism)と呼んだ.その技法は光る物体を凝視させ目の疲労感をお越し,同時に眠ることだけを考えさせるというものだった.その短所は覚醒法にあり,患者の耳の近くで手を叩いたり,四肢を叩いたり,眼球を圧迫したりというショック法にあったために,頭痛などの残遺症状がしばしば訴えられた.彼は先駆者と異なり名声も求めず議論も好まなかったためにさほどの反発を受けることはなかったが,弟子の指導や学派の設立にも熱意がなかったため,この偉大な発見にもかかわらず,hypnotism という語はこの現象の単なる学説を意味するものになった.こうして催眠は科学的研究へと進む絶好の機会を失い,1880年シャルコーの登場まで再び素人催眠術師にその座を譲り,人々の心に暗い印象を与えることになった.
 
§3.1.3 催眠療法の進展
シャルコーは催眠とは全く接点がなかったが,ブレイドの神経催眠学説を取り上げ,これを過度の刺激を患者に与えそのショックで催眠状態に誘導しようとする「大量刺激法」に変化させた.
 
リエボーはフランスのナンシーで催眠療法を手がけていた.リエボーは動物磁気説を全く否定しており,この現象を心理学的なものとみなしていた.2年間催眠治療を経験した後,催眠に関する著書を出版したが売れたのは1冊だけであった.20年後,ナンシー大学のベルネイムがその業績を知り,『暗示療法』という本を出版しリエボーの業績を紹介した.二人はナンシー学派として暗示の概念と催眠が心理学的現象であることを主張した.シャルコーはナンシー学派に対し,催眠は病的なものでヒステリー患者に限られると異を唱えた.数多くの実験の結果,ナンシー学派の正当性が認められ,1893年シャルコー死亡の後はナンシー学派が最も成熟した催眠療法のモデルとみなされた.しかし,この治療は人間関係の配慮に乏しく,暗示は権威的な声で「眠れ」という言葉を繰り返すものであり,覚醒法も極めて短い時間に行われるので残遺症状を残すことが多かった.ベルネイムの弟子たちはパリの知的な患者はこの方法に疑惑と恐怖心を抱いていると言い,催眠に背を向けそれぞれの道を歩んだ.
 
ベルネイムにもシャルコーにも師事したジャネは催眠を乖離現象ととらえ,ヒステリーとの類似性を指摘した.ジャネはすでに無意識過程に気づき,それを発表していたが,フロイトが無意識についてより広範な記述を発表したため,初の提唱者とは認められていない.
 
§3.1.4 フロイトと古典的催眠の終焉
フロイトは催眠を舞台催眠,シャルコー,ベルネイム,リエボーから学び,催眠を通じて無意識過程を発見し,精神医学の概念に大変革をもたらした.フロイトが催眠誘導と精神分析を行う際の治療態度は全く異なるものであり,その原因はフロイトの学習した催眠誘導が権威的で単調なものであったことと,彼のせっかちな人格に由来すると考えられる.後継者には理解されず,精神分析の発展につれ,催眠に批判的な傾向が強まり,弊害の側面のみが注目されたことは不幸であった.だが,フロイトは催眠の価値に気付いており「将来,精神分析の実践には,分析の純金に対して直接暗示の鋼を合金する時がくるであろう」と述べていた.1890年代は催眠療法のブームであり,器質的,機能的を問わずあらゆる疾患に誰もが催眠を利用した.だが,万能を催眠に求める医師たちはやがて幻滅を味わい,1894年のフロイトの催眠放棄が決定打となり,催眠は再び娯楽本位の素人の手に落ちることになった.
 
古典的催眠は権威的,時には威嚇的なアプローチに終始し,瞠目すべき治療効果を上げるが多くの人が幻滅を味わい放棄する,というサイクルの繰り返しであった.
 
 
§3.2 現代催眠
古典期の紆余曲折を経て衰退に至った催眠は学として復活することになった.舞台はアメリカに移る.その後の目覚ましい発展を実証的催眠研究と臨床催眠の成熟という二つの側面から眺めることにする.
 
§3.2.1 実証的研究催眠
1933年,実験心理学の権威だったハルが催眠現象の統制研究をまとめ,催眠史上はじめての実験科学的研究となる『催眠と暗示』と題する著書を出版する.ハルは保守的な医学界から批判を受けたが,彼の実績による権威から催眠への偏見は大いに打破され,これが引き金となり催眠研究が活性化した.その関心は古典的催眠とは対照的に,催眠者よりは非催眠者に向けられるようになり,ギリガンの言葉によれば「催眠反応は非催眠者の生来の能力によって決まるものであり,催眠者は重要ではなく非催眠者に反応性があるかどうかが問題になる」という考えに傾いた.身体的特徴や性格や文化差などと被催眠性の相関を論ずる研究が次々と発表され,投影法や人格目録検査へと研究が進められたが,どれも被催眠感受性との相関性を認められるものではなかった.
 
やがてワイツェンホッファーとヒルガードによってスタンフォード催眠感受性尺度をはじめとするいくつかの尺度が提案され,これは必須の技法として推奨されるに至った.しかし,ここに見られる催眠誘導法は,標準化のためにかつての権威的暗示を彷彿させるものとなっており,しばしばチャレンジの課題を含んでいた.催眠誘導の標準化は実験的研究としては進歩であったが,催眠トランスという極めて複雑な心身現象の十分な理解にはなお困難を伴うものであった.エリクソンは早くから催眠の標準化尺度には反対しており「どんなに思慮深く制作したものでも実際には使用不可能で無意味なものである」と断じた.
 
§3.2.2 臨床催眠の成熟
臨床催眠の円熟期の具体的な内容を論じることが本書の課題であるから,ここでは概略のみを述べる.
 
標準化アプローチにもとづく治療技法は,リラクセーションと直接暗示による病状除去法,自我強化法などがあげられる.これらの技法は単純であるが,現代催眠の重要な柱であり,疼痛緩和や心身症の生理的症状に有効で,特に急性,切迫性の病状に著しい効果が見られる.
 
催眠療法は第二次大戦において発生した戦争神経症の対応に業績を上げ,研究者による努力の結果,現代催眠は,医学,心理学研究者の認めるところとなり,1955年に英国医学界,1958年年には米国医学界から科学として承認された.米国医学界は1987年になって催眠を含め,1891-1958年の間に承認した事項をすべて撤廃すると発表し,米国医学界は現在催眠に対して賛成とも反対とも見解を示していない.
 
標準化された治療者行動による直接暗示に限界(神経症レベルでの障害への対応)があることはフロイトの辿った道が示す通りであるが,その解決策として心理療法に催眠を付け加える総合療法が開発された.催眠精神分析療法や催眠認知行動療法などがあり,ワトキンス夫妻の開発した自我状態療法などは優れた統合療法である.
 
さらなる発展はエリクソンによって創設された,催眠者にも非催眠者のどちらかのみに重点を置くということをせず,相互に関与し合う両者の関係を強調する方略的アプローチである.意識の関与を通り抜ける様々な間接暗示により,誘導や治療成績を飛躍的に向上させることができるという事実は,臨床催眠のみならず他の心理療法全般に大きな影響を与えた.
 
だが,エリクソンの没後,間接技法やメタファーのみを強調したり,治療が短期であることを唱えたり,画一的に治療を計画したりなど,エリクソン神話の弊害に陥りつつある.
 
日本での催眠研究の歴史は他書に譲り,簡単に付言する.1900年代の初期にヨーロッパより文献が導入され,一時的なブームが将来され,同じように多種多様の疾患に適応されていった.海外の盛衰と軸を一にしてやや遅れて衰退をたどった催眠は警察犯処罰令の対象とされ社会的な制約を蒙り,学問的研究は1956年の成瀬悟作による研究会解説を待たねばならなかった.その後,催眠研究は心身医学を通じて活発化し,1067年には池見酉次郎を会長とし第四回国際催眠心理医学界が開催されるに至った.だが,海外での臨床研究のめざましい繁栄をよそに日本の催眠研究の現状は活発とは言い難い状況に陥った.
 
§3.3 まとめ
古典的催眠における一連の発見は偉大であるが,同時に今日の催眠に暗い印象を残す原因にもなった.催眠を科学の対象として取り上げ,成熟した心理療法として発展を遂げた現代催眠の先駆者の功績は大きい.催眠の歴史は時として目を瞠る劇的効果のためか催眠者の自己高揚感,万能感を生み,同僚からの拒絶や治療効果への幻滅による挫折,放棄の繰り返しであった.催眠は他者コントロール感のためか,経済的,本能的欲望の誘発,超常現象への飛躍などのリスク要因を抱えている.今日の催眠臨床家には,本来催眠が具有するリスクに対して自己をコントロールしつつ,時代の要請に応えて催眠適用を心がけるべきことを歴史から学ぶべきである.

 

現代催眠原論

現代催眠原論

 

 

 

『現代催眠原論』読書メモ (1)

これは高石昇・大谷彰『現代催眠原論』,金剛出版,2012, pp. 14-26 の読書メモである.
 
凡例:実験結果を参照するときは,その筆頭筆者(lead author)の名前のみをあげる.
 
第1部 催眠
 
§1 催眠の定義
 
催眠には多くの人により様々な定義が与えられているが,催眠の複雑性を反映してか,統一的な定義はまだない.高石は次のように催眠を定義する.
 

「催眠は他律的もしくは自律的な暗示により,独特でしかも多様な精神的身体的変化の惹起された状態である.まずは単調刺激への注意集中や暗示により現実意識の低下,没頭などの精神活動の内向化が生起する.暗示はさらに,運動,知覚,情動,思考への変化を非意図的に体験させ,その非意図性のゆえにやがて自我機能が分断され,意識の解離にいたるという過程をたどる.この過程では,催眠者と被催眠者の相互的対人関係が重要となり,被催眠者の動機付け,治療同盟,催眠者の共感,自信,誘導技法などの要因が関与する.」(p. 16) 

 


§2 催眠の本質

催眠の本質は何か,という問いに対しては「催眠とはトランスという変性意識状態である」(状態論派)か「通常の心理状態の一形態であり,変性意識状態(催眠状態)などという特別な概念は不要である」(非状態論)という答えを出す二派に別れる.大脳の画像診断手法がこの対立に決着をつける兆しを見せている.

§2.1 画像診断による催眠研究
Kosslyn 2000の結果:覚醒状態および催眠状態でそれぞれ色彩をイメージ場合,覚醒状態では右半脳のみに反応が見られたのに対し,催眠トランス状態では左右両脳の反応が確認されるという違った反応が見られた.これは催眠イメージが覚醒イメージとは異なることを示すものと考えられる.

Raz 2002-2006 の結果:例えば赤インクで書かれた「」の色名を答える場合より,青インクで書かれた「」の色名(あか)を答える方が時間がかかるというストループ効果は意図的に抑制不能であり,知覚実験における指標とされている.これを催眠暗示によって制御できることを実証した.

・ストループ効果に代表される一連の反応は心理葛藤の表出であり,これには大脳の前部帯常回皮質(the anterior cingulate correx: ACC)の関与が知られている.Raz の結果とこの事実を照らし合わせると,催眠暗示は ACC に影響を与え,知覚された葛藤は神経生理のトップダウン機制によって抑制されると考えられる.

Rainville 1995 の結果:催眠による疼痛コントロールの検証にいち早く画像診断手法を導入したのが Rainville であった.この研究では ACC による陣痛は情動(不快感)調整によるものであり,疼痛感覚(強さ)の低下は感覚皮質への催眠影響によって起こるものだ,という発見が注目を浴びた.具体的には「痛みが軽くなりますよ」という暗示では感覚皮質に反応が見られるのに対し,「痛みは気になりませんよ」という暗示では ACC への影響が確認された,ということである.

§2.2 催眠感受性と催眠との関連
催眠が大脳生理と密接な関わりを持つという発見と,暗示による独特の反応パターンの形成を画像診断で発見できたことは,催眠研究にとって画期的な出来事であった.これは状態論派の催眠の変性意識説を裏付けるかのように見えた.だが,§2.1 で要約されている研究結果の対象はすべて催眠感受性の高い被験者に限られており,催眠感受性と暗示さえあれば「催眠状態」などという概念はそもそも必要ないという非状態論派の主張とこの結果は並行的であり,対立はまだ解消されていない.このため,催眠感受性の高い被験者と低い被験者の大脳生理的な相違(暗示と催眠感受性の関わり)を明確にすることが求められた.

Egner 2005 の結果:高催眠感受性の被験者の ACC は,通常のストループテストによる葛藤刺激には反応を見せないのに対し,催眠状態ではこれが顕著となる.一方,低催眠感受性の被験者の ACC は催眠状態であるかないかにかかわらず葛藤刺激に対し反応を示さない.前頭前野(prefrontal correx)は問題解決や意思決定といった統括実行機能(executive function)をつかさどり,心的葛藤を抑える役割を果たすが,高催眠感受性の被験者は催眠状態で ACC 反応が活発になっても,それを抑えようとする前頭前野の働きが怒らないことが観察された.つまり,催眠状態にある高催眠感受性被験者の前頭前野は葛藤に対しても通常の反応を起こさず,あたかもそれを無視するかのように振る舞うのである.Enger らはこの現象を前頭前野の減結合(decoupling)と呼び,催眠感受性の高い催眠下の被験者に独特の現象であると報告している.減結合は覚醒状態では起こらないので,催眠感受性の高さと催眠状態であることの両方が関与していると考えるべきだろう.

大谷2007, 高石2008a の提言:催眠は従来から信じられてきたように「注意の集中」ではなく,催眠状態では注意集中と深く関わりを持つ前頭前野が ACC から減結合を起こすという事実を鑑みるに,それとは逆に「注意の遮断」状態と解釈すべきではないか.

Horton 2004 の結果:催眠感受性の高い被験者は低い被験者に対し脳梁の断面積が約78%大きいことが確認された.これが因果関係を示すかは現在のところ明らかではない.だが,この結果は状態論派の主張を支持するものだ.

Berrtrand 1989 の結果:催眠感受性はさまざまな状況要因や訓練によっても変化する.こうした事実から非状態論派は催眠感受性は練習によって上達する技術に他ならないと主張した.

状態論と非状態論の仲哀案ともいえる相乗理論が Perry や Bowers によって提唱され,状態論派の Hilgard も支持するところとなった.それは大脳生理という基盤があり,それに状況や認知要因が加わって催眠感受性が最終的に決定されるとみなす修正案である.

§2.3 催眠における暗示の意義
異なる暗示が大脳の異なる部位に反応を引き起こすという Rainville の結果でも見たように,催眠と暗示には密接なつながりがあり,暗示が催眠成立の必要条件であると同時に催眠効果の決め手となると考えられる.

Castel 2007 の結果:線維筋痛症のクライアントに対し,異なる暗示(リラクセーション,催眠によるリラクセーション暗示,催眠による鎮痛暗示)を与えたところ,催眠による臨床治療においては与えられた暗示の内容が大きく影響することが明らかになった.

・これは催眠が単なるリラクセーションにもとづくものではなく,催眠と暗示がいわば表裏一体の関係にあるということに他ならない.エリクソンは「暗示を真剣に学ぼうとするなら,(暗示分をまず書き出し,それを何度も凝縮する訓練)を実行して,自分は一体何を言おうとしているのかを正確に理解することが必要だ」と述べたように,暗示を軽視して催眠を効果的に行うことはできない.

いくつかの実験結果から催眠は瞑想とは本質的に異なるものであるとみなすのがよいが,その比較研究はそれぞれの大脳生理機能の明確化のみならず,臨床における催眠の技法的促進にも貢献すると思われるので重要である.

§2.4 まとめ

これまでの実証研究の成果は以下のように要約できる.

  1. 催眠は大脳整理と繋がりの深い現象であり,特に ACC や前頭前野の減結合に見られる大脳機能,脳梁のサイズと言った大脳構造などと関わりがあると思われる.
  2. 前頭前野の減結合は,催眠の特徴とされる理性の低下や猜疑心の中断と符合し,催眠に伴う被暗示性の亢進もこれにもとづいた大脳生理のトップダウン機能によるものと考えられる.
  3. しかしながら,1, 2 でみられる大脳生理の特徴は催眠感受性の高い被験者に限られており,低い被験者には見られない.
  4. 大脳生理が催眠に対して因果関係を持つのかは現在不明である.
  5. 被験者の心理状態や社会状況といった社会認知要因は催眠反応と感受性に大きな影響を与える.
  6. だが,社会認知要素が大脳生理と相乗関係を持つのかどうかは現在不明である.
  7. 催眠効果は暗示によって決定され,催眠のメカニズムは単なるリラクセーションや瞑想のそれとは質的に異なると考えられる.

画像診断手法による研究結果から俯瞰すると,状態-非状態の議論はあまりに二者択一的にすぎ,もはや水掛け論とみなすべきだろう.大脳生理に根拠をおく変性意識と社会認知要因の関わり,暗示の役割がいかなる状況で被験者に影響を及ぼすのかに焦点を絞り催眠の理解に努めることが,催眠の本質研究に求められる.

 

現代催眠原論

現代催眠原論