『現代催眠原論』読書メモ (1)

これは高石昇・大谷彰『現代催眠原論』,金剛出版,2012, pp. 14-26 の読書メモである.
 
凡例:実験結果を参照するときは,その筆頭筆者(lead author)の名前のみをあげる.
 
第1部 催眠
 
§1 催眠の定義
 
催眠には多くの人により様々な定義が与えられているが,催眠の複雑性を反映してか,統一的な定義はまだない.高石は次のように催眠を定義する.
 

「催眠は他律的もしくは自律的な暗示により,独特でしかも多様な精神的身体的変化の惹起された状態である.まずは単調刺激への注意集中や暗示により現実意識の低下,没頭などの精神活動の内向化が生起する.暗示はさらに,運動,知覚,情動,思考への変化を非意図的に体験させ,その非意図性のゆえにやがて自我機能が分断され,意識の解離にいたるという過程をたどる.この過程では,催眠者と被催眠者の相互的対人関係が重要となり,被催眠者の動機付け,治療同盟,催眠者の共感,自信,誘導技法などの要因が関与する.」(p. 16) 

 


§2 催眠の本質

催眠の本質は何か,という問いに対しては「催眠とはトランスという変性意識状態である」(状態論派)か「通常の心理状態の一形態であり,変性意識状態(催眠状態)などという特別な概念は不要である」(非状態論)という答えを出す二派に別れる.大脳の画像診断手法がこの対立に決着をつける兆しを見せている.

§2.1 画像診断による催眠研究
Kosslyn 2000の結果:覚醒状態および催眠状態でそれぞれ色彩をイメージ場合,覚醒状態では右半脳のみに反応が見られたのに対し,催眠トランス状態では左右両脳の反応が確認されるという違った反応が見られた.これは催眠イメージが覚醒イメージとは異なることを示すものと考えられる.

Raz 2002-2006 の結果:例えば赤インクで書かれた「」の色名を答える場合より,青インクで書かれた「」の色名(あか)を答える方が時間がかかるというストループ効果は意図的に抑制不能であり,知覚実験における指標とされている.これを催眠暗示によって制御できることを実証した.

・ストループ効果に代表される一連の反応は心理葛藤の表出であり,これには大脳の前部帯常回皮質(the anterior cingulate correx: ACC)の関与が知られている.Raz の結果とこの事実を照らし合わせると,催眠暗示は ACC に影響を与え,知覚された葛藤は神経生理のトップダウン機制によって抑制されると考えられる.

Rainville 1995 の結果:催眠による疼痛コントロールの検証にいち早く画像診断手法を導入したのが Rainville であった.この研究では ACC による陣痛は情動(不快感)調整によるものであり,疼痛感覚(強さ)の低下は感覚皮質への催眠影響によって起こるものだ,という発見が注目を浴びた.具体的には「痛みが軽くなりますよ」という暗示では感覚皮質に反応が見られるのに対し,「痛みは気になりませんよ」という暗示では ACC への影響が確認された,ということである.

§2.2 催眠感受性と催眠との関連
催眠が大脳生理と密接な関わりを持つという発見と,暗示による独特の反応パターンの形成を画像診断で発見できたことは,催眠研究にとって画期的な出来事であった.これは状態論派の催眠の変性意識説を裏付けるかのように見えた.だが,§2.1 で要約されている研究結果の対象はすべて催眠感受性の高い被験者に限られており,催眠感受性と暗示さえあれば「催眠状態」などという概念はそもそも必要ないという非状態論派の主張とこの結果は並行的であり,対立はまだ解消されていない.このため,催眠感受性の高い被験者と低い被験者の大脳生理的な相違(暗示と催眠感受性の関わり)を明確にすることが求められた.

Egner 2005 の結果:高催眠感受性の被験者の ACC は,通常のストループテストによる葛藤刺激には反応を見せないのに対し,催眠状態ではこれが顕著となる.一方,低催眠感受性の被験者の ACC は催眠状態であるかないかにかかわらず葛藤刺激に対し反応を示さない.前頭前野(prefrontal correx)は問題解決や意思決定といった統括実行機能(executive function)をつかさどり,心的葛藤を抑える役割を果たすが,高催眠感受性の被験者は催眠状態で ACC 反応が活発になっても,それを抑えようとする前頭前野の働きが怒らないことが観察された.つまり,催眠状態にある高催眠感受性被験者の前頭前野は葛藤に対しても通常の反応を起こさず,あたかもそれを無視するかのように振る舞うのである.Enger らはこの現象を前頭前野の減結合(decoupling)と呼び,催眠感受性の高い催眠下の被験者に独特の現象であると報告している.減結合は覚醒状態では起こらないので,催眠感受性の高さと催眠状態であることの両方が関与していると考えるべきだろう.

大谷2007, 高石2008a の提言:催眠は従来から信じられてきたように「注意の集中」ではなく,催眠状態では注意集中と深く関わりを持つ前頭前野が ACC から減結合を起こすという事実を鑑みるに,それとは逆に「注意の遮断」状態と解釈すべきではないか.

Horton 2004 の結果:催眠感受性の高い被験者は低い被験者に対し脳梁の断面積が約78%大きいことが確認された.これが因果関係を示すかは現在のところ明らかではない.だが,この結果は状態論派の主張を支持するものだ.

Berrtrand 1989 の結果:催眠感受性はさまざまな状況要因や訓練によっても変化する.こうした事実から非状態論派は催眠感受性は練習によって上達する技術に他ならないと主張した.

状態論と非状態論の仲哀案ともいえる相乗理論が Perry や Bowers によって提唱され,状態論派の Hilgard も支持するところとなった.それは大脳生理という基盤があり,それに状況や認知要因が加わって催眠感受性が最終的に決定されるとみなす修正案である.

§2.3 催眠における暗示の意義
異なる暗示が大脳の異なる部位に反応を引き起こすという Rainville の結果でも見たように,催眠と暗示には密接なつながりがあり,暗示が催眠成立の必要条件であると同時に催眠効果の決め手となると考えられる.

Castel 2007 の結果:線維筋痛症のクライアントに対し,異なる暗示(リラクセーション,催眠によるリラクセーション暗示,催眠による鎮痛暗示)を与えたところ,催眠による臨床治療においては与えられた暗示の内容が大きく影響することが明らかになった.

・これは催眠が単なるリラクセーションにもとづくものではなく,催眠と暗示がいわば表裏一体の関係にあるということに他ならない.エリクソンは「暗示を真剣に学ぼうとするなら,(暗示分をまず書き出し,それを何度も凝縮する訓練)を実行して,自分は一体何を言おうとしているのかを正確に理解することが必要だ」と述べたように,暗示を軽視して催眠を効果的に行うことはできない.

いくつかの実験結果から催眠は瞑想とは本質的に異なるものであるとみなすのがよいが,その比較研究はそれぞれの大脳生理機能の明確化のみならず,臨床における催眠の技法的促進にも貢献すると思われるので重要である.

§2.4 まとめ

これまでの実証研究の成果は以下のように要約できる.

  1. 催眠は大脳整理と繋がりの深い現象であり,特に ACC や前頭前野の減結合に見られる大脳機能,脳梁のサイズと言った大脳構造などと関わりがあると思われる.
  2. 前頭前野の減結合は,催眠の特徴とされる理性の低下や猜疑心の中断と符合し,催眠に伴う被暗示性の亢進もこれにもとづいた大脳生理のトップダウン機能によるものと考えられる.
  3. しかしながら,1, 2 でみられる大脳生理の特徴は催眠感受性の高い被験者に限られており,低い被験者には見られない.
  4. 大脳生理が催眠に対して因果関係を持つのかは現在不明である.
  5. 被験者の心理状態や社会状況といった社会認知要因は催眠反応と感受性に大きな影響を与える.
  6. だが,社会認知要素が大脳生理と相乗関係を持つのかどうかは現在不明である.
  7. 催眠効果は暗示によって決定され,催眠のメカニズムは単なるリラクセーションや瞑想のそれとは質的に異なると考えられる.

画像診断手法による研究結果から俯瞰すると,状態-非状態の議論はあまりに二者択一的にすぎ,もはや水掛け論とみなすべきだろう.大脳生理に根拠をおく変性意識と社会認知要因の関わり,暗示の役割がいかなる状況で被験者に影響を及ぼすのかに焦点を絞り催眠の理解に努めることが,催眠の本質研究に求められる.

 

現代催眠原論

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